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新宿の顧問弁護士なら弁護士法人岡本(岡本政明法律事務所)

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コラム - 最新エントリー

一 「狂った裁判官」と言う本(幻冬舎新書)
 
1 裁判官の内情を描く

(1) 裁判官の実態を明らかにする本が、最近顕著に増加しています。特に裁判官が普通のサラリーマンと変わらず、しかも権力に弱い司法官僚であり、最高裁の司法行政に振り回される内幕を暴露する本が世間受けしているようです。

例えば、少し古いが「裁判官―お眠り私の魂」(朔立木著 光文社文庫)、新しい本では「裁判官が日本を滅ぼす」(門田隆将著 ワック出版)があり、今回問題にする「狂った裁判官」は同系列の本です。
小説ではありますが、実在の裁判官(多くが実名)を登場させる「法服の王国(上、下)」(黒木亮著 産経新聞出版)は面白かった。吹き荒れた東大闘争後、理念を追いかけた裁判官や司法修習生の実際の話、或いは私が弁護士になってからのことも思い出しました。殺人事件で刑事部担当部長として対峙した「当時の有名裁判官」に対する記述には感じ入りました。私の経験と合致したのです。私は、その裁判官が法廷において人として尊敬できない対応をされたことに対して、弁護士としてその指示には従いませんでした。裁判官を批判的内容で登場させながら、実名とは! 著者の度胸に驚きます。

(2) 同じ暴露本のつもりであろう「狂った裁判官」と言う本はカスです。読んで損をしました。「内容がむちゃくちゃ」と批判すると「価値感が違いますからね」という元エリート裁判官からの反論も予想できますので、実務家として失格と言う事実を示します。

168頁「裁判官は、司法試験、法科大学院、司法修習等を経た法律のプロですが、裁判員は法律の素人です。法律の素人が裁判所の構成メンバーとなるのは、日本では初めてです。戦前も戦後も、裁判所は法律のプロである裁判官だけで構成すると決まっています。」
上記の事実は虚偽です。

彼は、多分、心底では自分を勉強家であると思われているでしょうが、わが国で陪審裁判が行われていた事実すら勉強されていない事実に呆れます。わが国陪審法は、大正12年制定、昭和310月に施行、同184月に停止されております。

上記陪審制度は多くの欠陥があったと言われながらも、審理事件総数484件、うち無罪81件と言う結果を生んでいるのです。これらの事実は、多少権威のある本なら記載されている事実ですが、今後、当コラムでは「陪審裁判(旧陪審の証言と今後の課題)」(東京弁護士会編集 ぎょうせい出版)という書籍を参考にして紹介しましょう。
 
 「狂った裁判官」と言う本は矛盾だらけ

(1)  ひどい裁判官が多いという内情暴露はいいでしょう。だから「狂った裁判官」という表題で本を出版されたのでしょうから。

でも何故、現在運用されている裁判員制度を批判されるのでしょうか?「狂った裁判官」だけで裁判をしていいのか本気でお聞きしたい。
172頁「裁判員制度を作った動機として、よく裁判官は常識がないから裁判員を送り込んで常識のある裁判をするのがよいなどと説明されます。そうすると、裁判員制度は、法律はそっちのけにして、常識に基づく裁判をやろうというのでしょうか」(めちゃくちゃな論理)
173頁「結局、裁判員の入った裁判所は、何ら基準がなく、多数決で何でも出てくることになります。裁判の予測など、もちろんできません。めちゃくちゃ裁判の始まりです」
“君!国民にとって「狂った裁判官」が裁判するより、素人のほう がよっぽどましではないのですか?”

(2) 本コラムで、餓鬼みたいな低次元の論争をするつもりはありません。

もっとも彼もまともなことも言っており、それこそが根幹なのです。
175頁「司法とは、単に、裁判をやっていればよいのではなく、立法府や行政府の権限の乱用により侵害された国民の人権を回復するという重要な役割があります。その役割を実行するためには、民意からは一定の距離を保って法令のみに基づいて判断する裁判官が是非とも必要となります」
彼は、まともなことも言っておりながら、彼自ら司法行政に負けたというのです。162 頁「浅生所長のした裁判干渉もまたご多聞に漏れず、誰もいない横浜地裁所長室で 行われました」と言うのです。
“君!司法行政に屈する裁判官の姿とは君なのですか。”
こんな裁判官に国民の権利が守れるでしょうか。そもそも司法の最大の役目は、彼の言うとおり、立法府や行政府による権限の乱用から国民を守るということです。これが民主主義の根幹なのです。
 
二 裁判員裁判の理念
 
    「狂った裁判官」を書かれたエリート元裁判官も指摘されている通り、立法府や行政府の権限の乱用により侵害される国民の権利を守ることこそが司法の独立の根幹なのです。だから素人である国民が参加する司法制度こそ、司法官僚の独裁から解き放なたれる司法制度設計なのです。司法行政にひれ伏す裁判官よりも、自由な立場の国民が司法の場に参加してこそ上記権限の乱用を防止し、それ故に司法の独立が守られます。立派な裁判官もおられますが、その場合でも裁判の運用等の全てを素人即ち国民の目にさらすことによって、裁判官に“狂わない”でもやっていける環境を作る、逆に、裁判官が「国民に守られている」という自意識をもたせることに意味があるのです。

 もっともこれだけが裁判員裁判の趣旨ではありません。暫くは本コラムで、私の経験について書きたいと思います。 

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一 我が国の法律は自力救済を否定するのか
1 自力救済は法律も是認している

(1) 刑法講座と言う大変有名な本の第二巻を読んでみましても、民法での占有訴権については触れられているものの(民法第2022項)、反対に解釈される竹木の根の自力切除権(民法第2332項)については触れられておりません。民法第2332項を素直に読めば自力救済を認めた規定と読まざるを得ないはずです。学者の先生の価値観で考え方が変わります。価値観が問われるため書きにくい論点なのでしょうね。

 STAP細胞の小保方先生、理科学研究所の偉い先生方、最後にはノーベル受賞者を巻き込む近時の大騒動には事実主義を標榜する我が事務所では呆れてしまうだけですが、自力救済或いは自救行為の論点においても学者の先生には迷走があります。私は楽しんで読んでいるだけですが、学者の先生をめった切りにする研究論文も面白いでしょうね。前回のコラムで書いた私の憲法期末試験のように、学界からは無視されるだけでしょうが。

(2) 自力救済を書かれる研究者、つまり学者の先生には言っておきたいことがあります。

自力救済を認めない理由として、裁判所が国民から司法権を任され、その裁判所が是か非かを問う場合の唯一の判断機関であるということを前提にされておりますね。そして当然これらを法治主義で説明されますね。であるなら破産事件で苦しんできた私にとって言いたいことがあります。税務署の滞納処分は自力救済そのものではないですか?結論を言いますと「法律に定めがあるから、裁判所の判断を得ないで自力執行が認められる。これを自力救済規定と言う」と解説して下さい。自力救済の解説で、何故これも書かれないのでしょうか?
学者の先生の解説では見つからず、面倒なのでネットで調べてみましたら、フリー百科事典ウィキペディア、自力救済の項目ですぐに見つかりました。「国税滞納処分は自力執行権である」と記載されております。つまり自力救済の思考は根本において認めざるを得ない概念であり、我が国の法律でも随所に採用されております。
自力救済は、依然として根強く我々の価値観を形成しているのです。

(3) 安倍総理大臣が集団的自衛権を唱えるのも、自力救済の必要性を強く認識しているからでありましょう。私の大学時代の「やんちゃ」な姿を見る思いです。しかしながら、何とか自力救済を先に延ばそうとか、最後の最後まで発動させないようにしようなどという工夫がありません。

安倍総理は「やはり危ない、無邪気すぎる」と感じられるようになったのは、少しは私も大人になったのでしょうか。
 
 安倍総理と同様、自力救済の思想で育ち、後に分かったこと

(1)  私の思い

弁護士のコラムなのですから、判例を最初に書いてほしいと言う気持ちは分かります。しかし私は、私の学生時代、自力救済を合言葉のように唱えていた時代を書きたかったのです。学生時代は、安倍総理とは逆の意味で、国民側からの目線のつもりで、反権力が合言葉でした。国民の自由を守るためには、権力と対峙する必要があり、自ら体を張って異議の申立をしないと真の国民主権は成り立たないと考えていたのです。しかし年寄りになって、逆に危険であることに変わりはないと気付きました。まず自力救済を発動させない工夫をしなければならないのです。共産主義的思考に絶望したことも「大人?」になれた原因でしょうかね。
いずれにしても、当時のやり方では碌な世の中にならないと言う意味で・・。ある人から、分かるのが遅すぎると言われましたが・・

(2) そもそも民主主義は、暴力で解決することを排除した思想です。暴力は、最後は人命を失ったりすることで、割りが合わないという合理的思考から生まれました。政治思想もこれを根源としています。そして他者の自由を侵害するような事項については、多数決により決めることにした人類の知恵が、現実主義に即して思想となったのです。本コラムを読んでくれている若い方々、興ざめしませんか。

しかし私の学生時代は、自力救済を唱える時代だったのです。自己責任を自覚するなら、それはそれで自分の肌合いにぴったりでありました。しかし自力救済は相互に恨みを残し、また恨みは続き、未解決となり、経済的にも、否、精神的にも合理的ではありません。
 
二 判例紹介とその射程範囲
 
 1 判例は、当初、自力救済と言うだけで既に否定的でした。
自力救済の可能性を認めた判例は昭和301111日の最高裁判例が有名です。事件の内容は、他人所有の玄関間口8尺程度を切り取った自救行為です。最高裁は当該行為について適法とは認めませんでした。しかし具体的な事情によっては自救行為として認められる場合もあるとその可能性を述べたのです。
自力救済を認めた横浜地裁判例も紹介します(昭和6324日)。
マンションの前で、3か月間も車が停められていたので、住人が再三に渡り車名義人にどけるよう督促を繰り返しました。しかし名義人は応じませんでした。故意による放置と判断した住人はやむなく車を処分してしまったと言う事案です。裁判所は、本件については「やむを得ない特別の事情がある」として車名義人からの損害賠償請求を認めませんでした。
以上からも分かりますが、当初の賃貸借のコラムで紹介しましたとおり、「やむを得ない特別の事情」を認める判例は少ないのです。
 
2 自力救済のコラムを終えるにあたって
 
  若い弁護士の先生。自力救済を論じられる姿勢は本当に素晴らしい。しかし自力救済は相手方に禍根を残すこともあります。さらには懲戒になってはたまりません。「やむを得ない特別の事情」の発動ですから、十分に事件内容を吟味してください。そしてやる時には勇猛果敢に!
今回は私がずっと考えてきたテーマを纏めてみました。書き上げてから、本コラムの内容を副所長に話しました。
副所長から、自力救済は抵抗権かと質問されました。私は、自力救済は人類の持つ自然権であり、抵抗権にも通じると話しました。副所長から、お客さんが増えそうもない哲学は、本コラムに意味がない旨のお話もいただきました。
でも「こんなことを書いていないと楽しくない」と返しました。
 

    

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一 国際司法裁判所
 
1 国際捕鯨取締条約
 
(1)  自力救済の最終稿を書こうとしていたところ、「調査捕鯨で日本が敗訴」の報道がありました(本原稿は41日着手)。結論は別にして、国と国の紛争も「裁判でけりをつけられる」形が定着するということは、「経済的に割のよい一つの解決手段」を選択したという意味において評価すべきことだと思われます。裁判でけりをつけるということは、我々のように法による解決を専門職業とする弁護士にとっては当たり前のことですが、国家間の紛争では、いまだ常識にはなっておりません。自力救済論争の根本はここにあります。
今回のテーマである国の自力救済から話がとびますが、「鯨食」は日本の伝統文化だという日本の反論にも違和感があります。だって鯨を食べた記憶ははるか昔のことで、貧しかったためだけに食した記憶です。裁判では他国も納得する他の論点に焦点を絞るべきだったように思います。弁護士に求められる資質である「粘り」が、今回の司法裁判では全く感じられません。前々回のコラム、3「子の奪い合い」を読んでください。私が代理人になりましょうかと申出したい位です。
 
(2)  話を戻します。国際司法裁判所の登場とは何とラッキーなのでしょうか。今回のテーマである「自力救済」に関する究極の論点、「国家間の紛争解決」の仕組みが説明しやすくなったと喜んでおります。そういえば前回のテーマである「不動産は放棄できない」という題材においても新たな論点が出てきました。現在、私は、裁判所の依頼を受けて極度に珍しい破産管財業務を行っております。都下のある地域において、先の戦争直後から放置されたままの遺産を処理しております。主としては当該地域に存する不動産の整理ですが、事務所を挙げて取り組んでおります。何と「不動産は放棄できない」という論点に新たに付加しなければならない発見もありました。早く付加したいのですが、来年度まで書けません。それまでこの破産管財業務は終わらないからです。
国際司法裁判所のおかげで自力救済の掲載も一回増えました。
 
 2 戦争は典型的な自力救済
 
(1)   察しの良い方は既にお分かりでしょうが、国と国が争う戦争はまさしく「自力救済」以外の何ものでもないのです。裁判所の利用などあり得ない世界なのですから、救済手段は、究極的には暴力、つまり殺し合い、そして戦争と言う人類にとって最も効率の悪い方法に発展する可能性を有しております。最近問題になっている尖閣列島を考えなくても戦争は自力救済そのものなのです。
 
(2)  我が国の法学界は自力救済を毛嫌いしております。学者の先生方の解説書を読みまくりましたが、自力救済そのものを法の世界の異端児として放逐したがっていることがよく分かります。「不動産の放棄」でも同じことを感じましたが、「自力救済」についても全く同じです。
偉い学者の先生方も半端だと、しみじみ考えざるをえません。私にとって、学者の偉い先生方も、私の悩みと、それ程差がないことに気が付いたということが、本コラムを書き始めた最大の収穫でしょうか。自力救済規定を詳細に定めるドイツの国とは大分様相を異にしており、学者の先生方の論調も各人で違い、その主張にも深さがありません。この辺は次回のコラムに譲ります。
 
二 私が何故「自力救済」に関心を持つのか?
 
1 私の学生時代
 
(1)  私が「自力救済」について書こうと思い至った理由は、そろそろ法律の枠からはみ出た自分の思考過程・価値観を書いてもいいのではないかと思い始めたことにあります。
 
(2)  私は高校二年生の夏、60年安保で亡くなった樺みち子著「人知れず微笑まん」を読んで震えました。両親に、どうしても大学つまり都会に出てみたい、家業は弟に譲るからと大学進学を頼みました。我が故郷は、狭い町を外れると田が広がる田園地帯ですが、我が家は不在地主の家であったものの、当時の田舎並みに経済は厳しく、不遇の時代を迎えておりました。でも両親は進学させてくれました。
 
(3)  大学は一年生の時には多少授業に出席しましたが、二年生からは自慢ではありませんが、語学少々とラクビー少々の授業以外一度も出ておりません。当時の私の雰囲気をお話しするいい題材があります。
法律を売りにする大学に入ったのですが、法律については教えてもらったとは思っておりません。さすがに一年目で憲法の授業があり、当初は出席しましたが、高校レベルの講義でしかありませんでした。期末試験で「国民の義務について述べよ」と出題されました。私は十分に国民の三大義務を述べた後、当時の私の信念であったスローガンである「国民の生活の実力防衛」義務についても付加して論じました。驚いたことに結果は不可でした。
弁護士になった現在も、私の解答で出題の意図は十分こなしていたと考えております。学生時代、既に大学教授が採点しているとは思っておりませんでしたが、その狭い思考態度に呆れ、学問を標榜するならもっと自由であるべきだと思いました。
私の反省点は、憲法第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」を引用したものの、憲法上の根拠づけの展開が不十分だったということです。幸福追求権(憲法第13条)、国民主権(前文及び第1条)、基本的人権の本質(第97条)まで歴史・沿革を述べ、究極の自力救済義務までに敷衍させるべきだったということです。
 
2 自力救済的思考
 
  私は法律の勉強はしませんでしたが、司法試験受験生と同じくらい本を読み、自由に考  え、学んだつもりです。
いずれにしましても、学生時代は自力救済を是とする「やんちゃな学生」だったのです。
     続きは次回にします。
 
 

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一 小説の上手な組み立て方―自力救済を題材にする
 
1 前回紹介した本
(1) 「弁護士が悩む家族に関する法律相談」という本で書いた事例3「離婚に伴う婚姻費用・養育費・財産分与」の項で、村上春樹著「1Q84」を読んで訂正するべき内容も出てきたと書きました。
私の書いた部分、46ページの記載です。「そもそも控訴審は憲法20条信仰の自由を巡る論争でした。憲法論争に負けたと感じた私には大変な衝撃でした。しかしA女は「親方(意味不明ですが)の仰ることですから」と淡々と受け入れた姿勢に対し、私は敗訴判決以上に衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています」というものです。
「親方」ではありませんでした。「1Q84」を読んで分かったのですが「親方」は「お方様」だったのです。「1Q84」には『さきがけ』と言う新興宗教団体を登場させていますが、私の依頼者は「お方様」と言う根源的な出会いを経て、結婚以上の幸せを勝ち取られたのだと今では思います。私は彼女からいただいた手縫いのガウンを今でも愛用しております。離婚後、布教活動をされる幸せそうなご様子には、宗教を信じないと豪語する私ですら羨ましかったものです。
ところで余計な話で申し訳ないが、私は控訴審から受任して勝訴に導いた経験が極めて多い弁護士です。つい先週も東京地裁判決を高裁でひっくり返し、最高裁で確定したばかりです。
この事実は私を追っかけしてくれていたある有名国立大学教授も認めておられる事実です。そもそも「粘り」は才能であると言う標語を若手弁護士に語るぐらいですから、敗訴の経験は極めて少ないことをお断りしておきます(「子供みたい」と言われても主張します)。
 
(2) 驚きましたが、「1Q84」には、前回書きましたドメスティックバイオレンス事件(家庭内暴力事件、即ちDV事件)の自力救済がテーマの一つになっておりました。
 DV事件の経験のある老婦人が、DVで苦しめられている女性を救うためにDVをする男性をこの世から抹殺してしまうという展開がされております。主人公の女性は老婦人から殺人を請け負うのですが、まさしく自力救済が問題となるストーリー作りでありました。
 自力救済と言う同様なテーマが小説になっていたことで「1Q84」を紹介した訳ですが、6巻もあって読みにくいですね。新興宗教独特の思考パターンの展開もあり、村上春樹の世界は、ますます自己没入型という印象を受けました。しかし特別な味があります。
 
2 葉真中顕著「ロストケア」という小説
(1) この小説も現在の高齢化社会をとらえる小説としては、紹介に値するものと確信しております。本小説も自力救済を題材にとっている小説で、老人を介護する家族を守ることを目的にして、その介護を受ける老人を43人も殺してしまうと言うまさしく壮絶な本なのです。
 
(2) 口頭では私の知合いの何人かにこの本を紹介しました。これからの超高齢化社会、介護の在り方等種々考えさせられる本でありました。私の事務所の図書箱にも常置しております。
 
  作家宮部みゆき
(1)  私の父は、93歳で亡くなる前、自分の机の上に宮部みゆき著『火車』という本を開いたままにして旅立ちました。何時か、何かの形でこの話を残しておきたいと思っておりました。
 
(2) 『火車』は消費者金融の世界をテーマにしております。破産するべき一人の女性が他の女性になりすますなどして生き抜く姿を追うもので、法に通暁した話が満載された小説です。父は、こんな難しい話を読んでいるのかと驚きました。彼女の作品は、社会のひずみを、その時の社会的テーマで切り取る手法で構成されるものが多いです。
消費者金融の取立て事例が判例として検討され、民事判例索引集では民法709条の自力救済の項で出てくるのですから、まんざら今回のテーマと無関係ではありません。
 
(3) 宮部みゆきの本はあらかた読んでおりますが、自力救済に関係する話としては、直ぐに「理由」が出てきます。この本の主人公は、いわゆる占有屋(通常、強制競売されそうな建物に入り込んで、立退き料等を請求する危ない人たちを我々はそう呼びます)の話しでした。この占有屋を裁判でなく実力で追い出せば自力救済の話になることは賃貸借の項で既に説明済みです。
 
(4) すごい本だと思ったものとして、昨年12月に発刊された新本「ペテロの葬列」があります。この本は豊田商事の話を基本にして書かれております。この小説の最後に、参考資料として「豊田商事事件とは何だったのか 破産管財人調査報告書記録」が上がっているので驚きました。宮部みゆきは裁判所で記録の閲覧謄写までして破産資料を入手されているのだろうと驚きを感じております。
 
二 面白い小説には自力救済を題材にしたものが多い
 
  小説の組み立てに自力救済を題材にしたものが何と多いことかと驚きませんか?でも私には、自力救済の切羽詰まった程度の話しでは感動できません。人の本質に迫らないとだめですね。
前述の「ペテロの葬列」は、《事件もの》の枠を超えております。人間の本質を追及しています。最後の落ちが不満だという意見には私も賛成ですが・・。
  我々の生活は前の項目で如何に小説の材料が多いかをお教えしました。昨年は、若い先生と大沢在昌の著書で小説の書き方を読み合いましたが、弁護士より小説家になるほうが圧倒的に大変だと思いました。

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一 「子の奪い合い」は身近な事例
 
1 出版された本の紹介
(1) 「弁護士が悩む家族に関する法律相談」という本を出版した際の  ベテラン弁護士の嘆きを紹介し「子の奪い合い」をテーマにした自力救済について話してみたいと思います。「子の奪い合い」はハーグ条約にも関係する自力救済を論じる上での恰好のテーマなのです。今回、ハーグ条約は論じませんが、国際結婚した日本女性が、婚姻破綻後、アメリカから日本に子供を連れ帰り、子供に会えないアメリカ男性は数百件もあるという報告があるそうですが、「本当ですか」と言いたくなりますよね。これを「拉致」と言うんだそうです。
 
(2) 話がそれました。上記の本は、昨年3月、日本加除出版から第一東京弁護士会の法律相談センターによって、主として若手弁護士に向けたエールとして出版されました。私は、かつて法律相談センターの委員長をしていた関係から、始めは編集委員として旗振りをしておりました。しかし編集や座談会等の雑務は若い先生方に任せてしまえばいいということで編集委員から降ろさせていただいた経緯があります。
そのような経緯から、事例3「離婚に伴う婚姻費用・養育費・財産分与」及び事例20「弁護士倫理と遺言執行」は私が全文を書いております。事例3では、村上春樹著「1Q84」を読んで訂正するべき内容も出てきましたが、面白いテーマにも結びつきますので次回に紹介しましょう。
 
(3)ここで何故弁護士向け専門書を紹介するかを説明します。つまり、この本の出版に際して、私の後の法律相談委員会委員長であるベテラン弁護士が嘆いていた内容をお教えすればよいのです。即ち、自救行為乃至自力救済と言う言葉の持つ意味が、弁護士の成長度を測る測定機のような関係にあることを理解いただけると思ったからなのです。
 
2 別居時の子の奪い合い
(1)  あなたは自分の子が自分から引き離されることに我慢ができるでょうか?
別居時、夫の暴力から逃れるため、命からがら身一つで家を出たが、置いてきた子供を奪い返したいという相談はドメスティックバイオレンス事件(「家庭内暴力事件」、これを「DV事件」といいます)の担当になると通常よくある話なのです。
私の委員長時代には、DV事件は社会的に問題となり、暴力から逃れる妻のために、妻を保護するシェルターまでも用意されるようになりました。子供をおいて暴力から逃れる妻が、「ほっ」と一息ついて、置いてきた子供をどうしても連れてきたいと弁護士に相談したら、あなたが弁護士なら「連れ出してくる」ことに協力するのではないでしょうか?これが誘拐になるのでしょうか?
少し考えてみてください。子供を実力で奪った夫を誘拐罪で処断した最高裁の判例(最高裁判決平成17126)もありますから。
 
(2)  ベテラン弁護士の問題意識はここにあります。
この本の総仕上げである座談会で(巻末に載せられています)、現委員長である司会者より問題提起がありました。その問題提起は、まさしく「子の奪い返し」について相談があったらどうしますかというものであったのです。
当然、司会者は難しい問題だと思っての問題提起だったのでしょうが、元委員長のベテラン弁護士は、女性を可哀そうだと考え、その子の幸せを考えるなら懲戒覚悟で闘うのだと発言したのだそうです。ところが若い先生方から反発を受けたそうです。私は出席しませんでしたが、自力救済には否定的だったのでしょうね。本当に面白いですね。私は、このベテラン弁護士や司会をされた現委員長よりは圧倒的なお爺さんですから、思わず「にやり」というところでしょうか。
2乃至3日程度しかたっていないなら自力救済は認めてもいいと言う結論で上記座談会は体裁を整えて発刊されました。事実を検証されたい方は是非買って読んでください。
 
(3) 離婚の際、審判で子供の親権をとっても、子供を奪い返す直接強制が困難なことなど、子供を巡る問題は本当に難しい。
でも子供を奪い返すことが、母にとって必要な場合も多くあるでしょう。私は男ですから、母の愛なくして生きられないとまで思います。女性と少し違うのかもしれませんが、幼少期の母の愛は絶対的なものではないでしょうか。
2年程経ちますかね。男性弁護士が別居して3か月以上でしたか?子供を奪った事件がありました。この場合、男性の子供に対する愛は分かりますが、自己の庇護のもとで子供を育てていた原状がないのですから、自力救済とは言えません。誘拐罪で逮捕されました。
 
二 「自力救済」への反応は、サラリーマン弁護士かどうかの測定機
 
弁護士でない皆さん、付き合いたい弁護士はどちらでしょうか。
前述のベテラン弁護士に「自力救済は、一人前の弁護士になったかどうかの測定機だね」と話し、今回私のコラムで自力救済を書こうと思うという話をしました。その弁護士は私のコラムに自分の実名を載せていただいて構いませんとまで話され、熱く賛同の言葉を述べられました。
ベテラン弁護士は若手弁護士のサラリーマン化を憂えておられます。ベテラン弁護士の思いは私も同じです。紹介しましょう。
「簡単に諦めてはいけない。何とかしようという『粘り』こそが、弁護士にとって必要な資格だと思う」。
次回は「自力救済と小説」について書いてみます。

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1 連帯保証人立ち合いによる自力救済(前回からの続き)
 
(1) 連帯保証人になっているその筋の兄貴分の言い分は次の通りで ありました。「自分の連帯保証責任を追及しないのであれば、動産搬出の立ち合いをする、自分が賃借人に搬出の件については承諾させる」という返答でした。これを聞いた依頼者は「これからの賃料収入がないと困る。兄貴分が賃借人に搬出を承諾させると言っているのだから連帯保証責任は免除します。動産搬出を直ぐにしてください」というものでした。
 
(2) 「その筋」のいい加減さを知っている私は本当に困りました。
許されない自力救済は、私自身の弁護士会懲戒問題にも発展し、私自身の多大な経済的損失になりかねません(連帯保証人が親族であれば動産搬出をしていたか?と聞かれると困りますがね)。
信義を唱えられる「その筋」には信義がないことを経験しておりましたので、絶対にややこしい話になると予見しました。私は依頼者に「報酬は一切いりません。代理人を辞任します」と告げました。
その後も依頼者には万全の手を打つようにアドバイスを続けましたが、行方不明の賃借人に辞任通知を出すことができないことに気付いて「あぶねぇな」と愕然としたことを覚えております。
 
(3) 本件の代理人は辞任しましたが、依頼者には段取りを十分に説明し、兄貴分立会いの上で、現場写真を撮って、家具動産類の目録も作らせました。その上で家具等の動産類を搬出し、賃借人が出てくるまで倉庫で保管することにしました。
兄貴分の説明通り家具や動産搬出には苦情は出ませんでした。
 
(4) しかし何と、行方不明の賃借人から「高い絵があるからそれを返してほしい」と言う苦情が私宛にきたのです。「やっぱり」と言うのが私の感想でしたね。でも膨大な滞納賃料があるのによく言いますよね。これが「その筋」の方々の「やり方」なのです。
このような問題が起きることを意識して倉庫に保管していた「見るからに安っぽい絵」を返却する条件として、その他の家具等の返還要求はしないことの確認書を取って、業務から解放されました。
自救行為で「危ない橋」を渡った私は相当に頭に来ていたのでしょうね。依頼者の方には「もう二度と事件の依頼をしないでください」と通告し、20年以上連絡すら入れておりません。 
 
2 賃貸借契約における自力救済は怖い
 
(1) 不動産の明渡等を専門にされる弁護士、これも「ブティック型法律事務所」いうのかもしれませんが、そんな事務所も増えていると聞いております。しかし、依頼者に対してよほど乱暴なことをしないと経営は困難でしょうね。そもそも賃料の相場を考えてくだされば分かると思いますが、事務所維持費用すら回収できない分野だと思います。前回コラムのような依頼者が通常のお客様でしょうから、賃料相場に比例しない諸費用の支出は経済的合理性に反します。
私の事務所ではビジネスになりがたい分野という話になります。
 
(2) しかし、当事務所では賃貸管理を業とされる顧問先は何社もあります。顧問になっていただいた場合には明渡事件もどんどん受任しております。それは当事務所との信頼関係でしょう。
今回は顧問先に迷惑にならない範囲で驚いた自救行為の話をしてみましょう。
先ず最初に、賃貸マンションの家賃不払が続いた場合、マンション入り口の鍵の交換をして利用できなくしてしまう事例は多いですね。さすがに賃貸管理を業とされております顧問先は、これが自救行為として許されない範囲のものであることはよくご存知です。
驚きましたのは、マンション入り口鍵穴を含めたドアノブの上から全体を包み込むようにした器具を被せ、その器具に鍵をかけてしまうという手法です。そして必ず連絡文、「利用される場合には直ぐに連絡してください、お開けします」を付け、賃借人の利用を妨害していないような形をとるというのです。この器具は大阪の顧問先が利用していると言っておりましたので、東京の顧問先に話してみました。顧問先から「その器具が東急ハンズで売却されていたので購入しました」と報告を受け、東急ハンズもすごいと感心しました。
でもこの事例でもマンションが利用できなくなる可能性はあります。業として利用される賃貸だと損害が発生する可能性は高いでしょうね。弁護士としては利用されないようアドバイスするでしょう。
 
(3)  次も顧問先の事例ですが、これは記載しても問題はないでしょう。
 20数年前、賃貸管理を業とする顧問先から明渡の事件を受任し、通常のルールに従い訴訟となって第一回の口頭弁論期日を迎えました。当日、相手方弁護士の弁論は、当社の顧問先が名誉棄損をしたと話され、貸室入り口ドアから横の窓ガラスまで、「金を払ってください」等と抗議と経緯が記された書面が大量に張り付けてある写真を示されました。裁判官も「これはひどい」なんて漏らすのです。
 でも不思議なのですが、これはそれ以上に大事にはなりませんでした。つまり本件の賃借人はこのマンションが気に入っており(名誉棄損のビラを貼られて変ですね)、これからも住み続けたいので和解にしてほしいというのです。顧問先担当者に話をして分割金支払いでの和解にして解決しました。受任してからのビラ貼りであれば私は懲戒申立の可能性もありました。相手方弁護士には「先生の顧問先は下品ですね」と言われましたが、返す言葉がありませんでした。
 
  まだまだ自救行為のコラムは続きますよ。

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一 侵害された権利の回復
 
1 はじめに
(1) これまで「危ない思い」をしたことがありますか?と言う質問は多い。弁護士には「危ない仕事」は本当に多いのです。
  お腹に新聞紙を巻いてナイフ等から身を守る事前準備をしたというような単純な「危ない事件」も確かに多々ありました。しかし、これは私の自慢話に通じるし、馬鹿馬鹿しいので致しません。
でも今回から何回か、私の依頼者の要望或いは言動で「危ない思い」をしたという経験等について話してみましょう。
 
(2) 自救行為乃至自力救済と言う言葉の法律論は終わりで説明しますが、ここでは「裁判手続きを経ないで自分で侵害された権利を回復することを言い、一般的には許されない」と理解しておいてください。
 
2 私の気質
(1) 今までの経験からして、危ない仕事の一つ「自救行為・自力救済」に巻き込まれる弁護士は、その方の気質に原因することが多いと思います。しかし、本心を言うと、その先生は自己の気質に注意をすればいいだけだと思います。依頼者の要望に悩みもしないで初めから自救行為を避け、依頼者と正面から向き合わない弁護士活動をされる先生が多いが、私はその先生を絶対に尊敬しません。そのような先生は誰からも喜ばれないし、何の社会貢献もないサラリーマン弁護士です。危ない仕事で悩む先生こそ素晴らしい気質を持っておられるのです。
 
(2) そこで私の気質について説明しましょう。私は、依頼者の方に対し、ポンポン言っているようであっても依頼者に喜ばれる弁護士足らんとする傾向が猛烈すぎるそうです。
私の事務所の副所長から、このように批判されています。
「所長は『報酬はきちんと貰え!』、『依頼者に迎合的な弁護士活動をするな!』、『人権擁護などという用語は使うな、そんな用語は我々に関係ない!』などと発言するくせに、自分が一番妥協的な「安い」金額で引き受ける、受任後も依頼者に寄り添いすぎて人権擁護なんて言葉以上に弁護士活動をする。そんな逆向きの発言は、若い弁護士に誤解されるし、根本で誤った教育になる。そんな言い方は止めなさい」と何度か注意されたことがありました。事務所副所長は私の気質や発言の本質を直ちに汲み取る本当に優秀な弁護士ですが、でも、その指摘には、「なるほど私は危ない気質を持っていて、それを自覚していないな」と改めて気づき、反省したこともありました。
     こんな私ですから依頼者が自衛行動を主張される場合には本当に「危ない橋」を渡る 
     ことになります。
 
二 自救行為乃至自力救済による「危ない事例」
 
1 典型的な借家明渡事件
(1) 弁護士になりたての頃ですが、賃料不払の方を追い出してほしいという依頼を受けました。依頼者の方はお年を召したご婦人で、きちんとした方でありました。
私は若い先生方に賃料不払による明渡請求事件など、法律論としては本当に簡単な事件だと説明しております。しかし賃料収入で生活されている依頼者にとっては明渡に経費をかけることは経済的に合理性がありません。毎月の安い賃料収入に比して経費のかかる弁護士・裁判費用では収支が合いません。明渡事件は分かり切った手順を踏むだけなのですが、しかし、その手順は法律通りでなければなりません。
 
(2) 依頼事件の賃借人は何か月も賃料を滞納しておりましたが、社会的に問題のある「その筋」の末端構成員の方でありました。こんな方であっても、経費をかけたくない依頼者に配慮して内容証明による解除通知後、出ていってくれるよう訴訟提起前に打診をします。危機管理はきちんとしますが、その筋の方々に恐怖したことは一度もありませんので「危ない話」は、そんなことではありません。「末端の方」に聞いたところ、金はないので滞納金は払えないが、近いうちに引っ越しをするという話でした。
ところが、その「末端の方」は出ていく直前に行方不明になりました。どうも警察に捕まってしまったらしいと依頼者は話されており、どこの警察かも分からないという事案でした。
 
(3) それからの依頼者の要望は苛烈でした。本件の契約書には解除後、残されている動産の放棄条項或いは動産は賃貸人で搬出・処分できる条項を不動産業者のアドバイスでわざわざ入れているのだから直ぐに搬出してください。裁判をして長期化したり、新たな費用をかけたりしないで、一刻も早く新しい賃借人から賃料をとれるようにしてほしいというものでありました。
 裁判所の手続きを経ない動産搬出を自力救済と言うのですが、家具等の動産類を勝手に搬出すると、持ち出された相手方から利用できなかったことを理由にして損害賠償請求される危険性があります。それに動産が壊れたとか或いは無くなったとして器物損壊罪や窃盗罪等の犯罪だと言われる危険性もあると説明しました。依頼者が強調される動産搬出条項を事前に入れておいても判例は厳しい態度をとっており、法的に認められない可能性が高いことも説明しました。
 
(4) 新しい反論が出ました。連帯保証人の立ち合いで搬出してくれればいいというのです。連帯保証人に連絡して賃借人の状況について聞いてみたところ、連帯保証人は賃借人の兄貴分ということではありましたが「俺たち下っ端が、組の重要事項をお前らに話せると思うか」と逆に脅かされる始末です。   ここで次回に続きとします。

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一 劣悪不動産は減らない
 
 劣悪不動産が問題になる背景として容易に考え付くその一つは、高齢化社会と都市一極集中があるでしょう。65歳以上の老人が4人に一人という我が国の人口構成も皆さまご存知の話です。最近では、限界集落は都心部にまで及び始めたという新聞記事も出ております。新宿区にある戸山団地が事例として挙げられることもあります。都心一等地ですが、不思議な光景だという人もいます。
そもそも日本に存在する現在の家屋の数は、日本の世帯家族数以上に多く、余っている住宅ストックは所帯数より16%多いといわれております。劣悪不動産は増加せざるを得ないです。
 
  土地に対する取り返しのつかない汚染等も劣悪不動産と認定される時代になりました。人の健康に害がある化学合成物や薬品等で利用困難な土地も出ております。
「産業廃棄物に関する条例」等も現在はポピュラーな話になりました。ほんの少し前のことですが、中山間地域の山道を車で走ると、道端や崖に、やたらとごみや家電製品が捨てられていたのは見ておられますね?このような通常の光景も、最近はだいぶ変わってきたように思います。地方公共団体の取り組みが効果的であった事例ですし、皆様の意識がそれを許さない文化度に成熟しているのです。
これは中国のブラックユーモアです。「北京では窓を開ければただでタバコが吸える(PM2.5ですね)、上海では蛇口をひねれば豚のスープが飲める(川に豚の死骸6000匹が流れる)」という中国の文化度と比較すれば、言わずもがなの話です。
 
3 似たような話のとどめは、東北大震災による福島第一原子力発電所事故でしょう。これこそ土地を持っていても利用できない典型であります。災害復興まちづくり支援機構の議長まで務めさせていただいたので、話せばきりがありません。
その一部を紹介します。今回のコラムは不動産の話なので、土地の面積が変わってしまったという話です。この話は阪神淡路大震災当時に聞いており不思議でした。新潟県中越沖地震の際にも、地震発生直後、確か越後湯沢からバスに乗り換えて震災現場に入りました。ここでも土地の面積が変わってしまったという話を聞いております。土地は永久の財産のように思っていましたし、前のコラムでもそんなニュアンスで書いていますが、それも事実に反するのですね。
今回の東北大震災において建物の耐震基準の程度について、今までは震度5を超えた地震で工作物が壊れ、それで他者に損害を与えたとしても損害賠償責任はないなどと言っておりました。しかし最近では震度6を基準にするように、などと言っております。
災害に厳しい対応を求められる皆さまの認識が、劣悪不動産の基準を変えるのです。裁判所の判例だって同じですよ。
 
   しかしながら自分を振り返ってみますと、劣悪不動産が減少しない原因は、なかなか変わらない自らの意識(変わりそうで変化していない自らの不動産信仰)にもあると思います。幼いころからの刷り込み、つまり不動産は儲かるという認識はすさまじいのです。
    あなただって同じだと思いますよ。例えば、あなたが限界集落に不動産を持っていたとして、都市に生活場所を移すにしても直ちに誰かに安く譲るという発想が出ないのではないですか?そのうち、もてあまして建物としても機能しないまでになってしまいます。この時、取り壊して空き地にしてしまえばいいものの、土地の固定資産税が跳ね上がると聞くと撤去することにも躊躇するでしょうね。しかし、この税制については、議論はありますが変わらないと思います。住居用なら固定資産税を安くするという政策は大切でしょうから、この税制を前提にして考えましょう。
 
       ところで今回、住まない建物の取り壊しに対して、国から100万円程度補助を出す立法がされると聞いております(この原稿がホームページに載るのは半年後ですから、そのつもりでお読みください)。
政策が一歩前に出ることになり、劣悪不動産を残さない政策も取られているということです。具体的な話が必要な方は、税理士の先生に聞いてみてください。

 

 二 不動産に対する我々の意識の変化
 
  しかし不動産に格差があり、どうしようもないものもあるという認識は、根本的には、不動産に対する価値観が変わったという前提があります。つまり、我々が生活するこの社会の変化によって、我々の意識にも変化が起きざるをえなかった、ということが真実でしょうか。
突き詰めて考えれば、不動産の所有者責任が当然のように認識される世の中になったということも大きく影響していると思います。
瑕疵ある不動産による被害が発生した場合には、民事の損害賠償だけでなく、刑事責任もあるという意識の変化です。「不動産持ちの方は金持ち」という意識も変わり、或いは、このような方が危険不動産を所有されていても、厳しく責任追及ができうる(逆にいえば「される」)文化の進展によって私も変わってきたのだと考えております。
結論は、我々の文化度・価値観の変化によって「不動産神話の崩壊」に繋がったのです。
 
   今後の研究で民法制定時に不動産の放棄がどのように議論されたのかが明らかになる時代が来るかもしれません。そしてその際、不動産の放棄については触れないでおこうという、当時の民法制定時の理由が明らかになるかもしれません。

 

三 「不動産格差」のコラムを終わるにあたっての感想
 
 最初のコラムを思い出して下さい。アメリカの格差社会と私たち弁護士の格差の増大を述べましたが、不動産における格差の進行も似ていると思いませんか。我が国は、50年もしないうちに人口が3分の1減少し、揺るぎなき?老人国家になります。あらゆる場面において、益々格差が広がるとしか予想できません。これらの格差の発生・増大は、我々の生活、社会秩序そのものを破壊することは間違いないのです。
このような社会状況の中で、不動産の格差増大を防止するには、その重要な一つの対策として「地域社会の復権」があると思います。
不動産の格差というような限定された議論でなく、我が国がアメリカのような格差社会(アメリカの貧困)にならないためには、地域社会の復権しかないという政治家や学者の方の意見も聞くようになりました。また「地域主権国家」を目指すしかないという難しい論調の学者もおられます。不動産格差社会への対策と結論が似ていますので、その提案の一つだけでも紹介しておきましょう。
「グローバリズムと老人国家に変貌する明日の我が国において、その夢を託すには『開かれた小国化した地域社会のイメージ』にある」という趣旨のものです。
このような内容を書いた本等の紹介をするのは、弁護士のコラムとして業務から拡散しますので、ここらへんで止めます。
業界紙のニュースに、再生不動産を主要な業務とする会社も出始めたと書いてありました。村おこし、町おこしなどの地方復活の頑張りを、このような会社とリンクさせるとか、その他あらゆることを試して、「地域社会の復権」をなしてほしいものです。

 

今回のコラムは、一度に6回分を書きましたが、分割して掲載します。

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一 劣悪不動産所有者からの相談に対するその対策
 
 1  相談者の方は、先ず劣悪不動産を放棄したいということから始められます。
      当然、既にご承知のとおり、不動産の放棄はできないという法律の話をしますが、なかなか納得されないのですね。
 
2 困り果てられた相談者は、次に、国や地方公共団体に寄付したいと相談をされることが多いです。懸案不動産が、道路部分などであれば建築基準法42条などで検討しましょうとも言いますが、そもそも劣悪不動産ですから道路などに用立てられるような物件ではないのです。
ところで地方公共団体では、昔は不動産の寄付を割合受け付けてくれたように思います。最近は否定的な話ばかりです。確かに、劣悪な不動産で管理費用がかかるだけであれば、地方公共団体の財政を圧迫してしまいます。最近では、地方公共団体でも寄付基準を作成しているところが多いと思います。換価できる等、何か利用価値のある不動産でなければ寄付を受け付けてくれません。
NPO法人等に対する寄付は話にも出てきませんね。これは税金面や諸費用を心配され、既に検討済みだからではないでしょうか。
とにかく「劣悪不動産の所在する地方公共団体に行って聞いてみてください」と申し上げることにしております。
 
  整理回収機構(いわゆるRCC)で行っていたことを紹介しましょう。
整理回収機構では、破綻した金融機関の劣悪不動産を多数所有していたことは既にお話ししました。何とか処分しないと整理回収機構に終わりがやってきません。預金保険機構の子会社ですから、国の業務を代行している訳です。とにかく処分して所有者でなくならねばなりません。
あまり大きな声で言ってはいけない部類に属することかもしれませんが、結論としては、多くの不動産を纏めて、一括売却の手続をするしかないということになりました。
確かに、劣悪不動産を有する会社からの相談で、一括購入したことから発生した相談もありました。メリットのある不動産と劣悪不動産を一緒に購入したが、残った劣悪不動産をどう処理するのかで頭を痛めているという相談でした。整理回収機構と同じ処理をしている会社も多いことが分かります。
 
二 顧問会社の社長が実践されていたこと
 
1 相続財産制度の利用に関する珍しい相談も紹介します。
この方は私が弁護士になったと同時に顧問契約をしていただいた30年来の私の大切な方であります。あまりプライバシーをお話ししたくもないのですが、社長さんは、資産家で、不動産の評価には大変厳しい鑑識眼を有しておられます。当然に多くの不動産もお持ちです。
しかし、不動産の放棄ができないことを知られたときには、大変驚いておられました。社長は、故郷から無一文で大阪に出てこられ、大成功をおさめられ、チェーン店を何店舗も持つ成功者であります。ご両親は、山深き田舎に土地を持っておられましたが、劣悪不動産で苦労されたようです。
ちょうどお母さんが亡くなられ、この話になりました。社長は、劣悪不動産を子孫に残す必要はないので、今回相続はせず、残る不動産については相続財産管理人を選任するとまで言われました。何故ですかと聞き返した私は、まだ不動産神話を信用する古い体質があるのでしょうか。私は「思い出はないのですか?」とか、質問する自分に疑問を感じつつ、相談に乗った記憶があります。
 
2 この社長さんには、まだ驚いたことがあります
雑草除去条例も制定されていない地方で、趣味を活かす別荘をお持ちでした。その趣味は省きますが、とにかく成長すさまじい雑草には大変悩まされておられたそうです。近所に第三者がお住まいの家もあったようで、毎年ひどい伸びの雑草対策に苦労されたようです。
いろいろ悩やまれたのでしょう。社長さんは、管理人を置くより手数がかからないとして、この土地に鉄板を敷きつめ雑草が生えないようにしたというのです。当然、風で飛ばないかなり重い鉄板を置き、その上に鉄板と分からない工夫をしているというのです。
前回紹介した地方公共団体の雑草除去条例が頭をよぎりました。しかし、一度行って見てみたいとまでは思いませんでした。
 
三 原野商法は劣悪不動産入手の典型
 
 1 今回は自分の反省事例を紹介しましょう。
      私が、破産管財人として選任され始めた頃の昔の話ですので、20年以上も前の事例です。
          破産管財人として、破産会社の破産整理と同社社長の財産を換価していたのですが、担保のついていない北海道帯広の山林が残りました。帯広の土地を買ってくれるような人はいないのかと社長に聞くと「その土地はリゾート開発されるということで購入したが、今回の破産で不義理していて買ってくれそうな人はいない」という話でした。私は何でも調べるのが基本だと思う弁護士ですから、厚かましく帯広の司法書士の先生にまで電話を入れて聞きまくりました。その話では「そこは原野商法の土地です。現地にいらっしゃると言ってもヒグマしか生活していませんよ。その土地は一坪何円の評価が出ればいいほうでしょう」というのです。担保物でないので強制競売もありません。
 
   驚きましたね。女性の裁判官は何とか処分しろと言い続けるのです。不動産を残したままでは終わりにできないというのです。勿論反論はしました。「原野商法の被害者を増やせとおっしゃるのですか?」、「原野商法の片棒を担げとおっしゃるのですか?」と。
       破産管財人において換価処分できなかった不動産は、「財団から放棄」して債務者に所有権を戻してしまうのですが、裁判官はそれにも納得しないというのです。当時は原野商法の第二次被害も言われていない時代だったのです。私は最後の手段として、本当に親しい当事務所お抱えの不動産屋さんに、泣いて買っていただきました。
今にしてみると反省しきりですが、当時は破産者の財産(特に不動産)を財団から放棄することが許されない時代背景もあったのです。
 
3 最近、原野商法の被害者に再度電話がかかってくるようになったと聞いております。今頃、詐欺電話があるなんて不思議ですが、一度騙された方は再度騙されるというのがその業界の常識なのです。買い取ってくださった不動産屋さんに申し訳ないという気持ちで一杯です。
 
  本項でのまとめ
     これまで話してきましたとおり、劣悪不動産を処分する良い方法はありません。原野商法の被害者にならないよう警告することはできますが、遺産の中に劣悪不動産があれば問題が違います。その場合には、相続放棄を検討するしか方法はないでしょうね。遺産の価格を厳密に計算して不動産の価格と管理費用等を比較し、損得を判断するしかないでしょう。それでも、ご両親の思い出の不動産を放棄することなどできないことも多いでしょうね。
困りました。
不動産の放棄に関する抜本的な法律制定もないと思います。国が、劣悪不動産を国の費用で管理しないといけないような法律制度は容認されないと判断できるからです。条例の時のコラムと矛盾しますね。


 

 

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一 地方公共団体の努力
 
 1 今回は条例との関係を見ていきましょう。
    皆さんに「迷惑な不動産」と聞けば、山村の家屋等を思い出されるでしょう。地方公共団体は崩壊寸前の家屋や土地上の工作物により、その危険性を防止するため本当に困っております。
「限界集落」という言葉はご存知ですよね。65歳以上の高齢者が当該地方公共団体の総人口の過半数を占める状態になると限界自治体と言います。急激な高齢化或いは都市一極集中により、再来年には限界自治体が51団体になるという恐ろしい数字も予想されております。
そしてその後「消滅集落」になるのです。住んでいる人がいなくなってしまうのですから、当然、管理できる方もいません。不動産は荒れたままに放置され、私の田舎の山里では、猪や鹿と共存する居住空間に変貌したそうです。
 
2  条例、特に今制定が増加している「空き家管理条例」は、不動産の放棄或いは相続放棄に関係せざるを得ず、今まで説明してきました法律の「罠」に嵌ってしまわないようにする注意が必要なのです。
       そもそも今回のコラムを書こうと思った「きっかけ」は、「空き家管理条例」が制定され始めた最初の頃(と言っても僅か23年前にすぎません)、注意せねばならない重要な視点が欠落しているのではないかと思ったことです。これでは有効性のない条例に終わってしまうぞとも思いました。
つまり「地方公共団体の顧問弁護士の先生よ!しっかりしてくれ!」というエールのつもりが「きっかけ」なのです。
 
  都市町村の地方公共団体は近時1,700を超えているとされています。
         地方公共団体は、憲法によって法律の範囲内で条例を制定できることになっております。地方公共団体は条例を制定して危険物の排除つまり工作物の取壊し等をできるように行政代執行の定めを置くものも登場してきました。先ほど紹介しましたとおり「空き家管理条例」の制定は、今地方公共団体でブームになっています。多分、制定そのものは雑草除去条例のほうが先だったと思いますが、三重県名張市では行政代執行による強制除草をできるようにまで予定して作られております。なかなか頑張っている地方公共団体もありますね。
ところで最も強制力の強い行政代執行ですが、平成24年初め、制定されたばかりの条例に基づいて、秋田県大仙市が雪の重みで倒壊する恐れのある家屋を代執行で撤去しました。その勇気は称されるのですが、残念ながらその代執行費用約178万円の回収が困難になったのです。早速、地方自治法の学者先生から、費用の回収ができないことも含めて住民訴訟の恐れもあるなどと指摘されております。「そんなに責めないで」と地方公共団体担当の方に変わって言っておきます。
 
4   地方公共団体では、これまで産業廃棄物の処理関係、環境保護関係等の条例制定が先行しておりました。例えば、バブル景気頃の産業廃棄物の排出はすさまじいものがありました。他人の土地に不法廃棄する産廃業者。或いは産業廃棄物を自らの土地に集積させて小銭を稼ぐ土地所有者の出現。それによる環境破壊はすさまじく、人の住めない環境になっていく状況に地方公共団体は困り果てました。
       以上を見ていくと、一回目コラムの相談事例がそのまま条例でも問題になっているのですから、驚きませんか?
 
二 条例での注意点
 
1   空き家管理条例に関心をもった最初の「きっかけ」ですが、制定する地方公共団体では、自分の内部のことだから市民たちの個人情報を勝手に見られると思っているのではないかと疑問に思ったことです。地方公共団体は市役所や役場ですが、地方の権力を握っております。個人情報に関しては謙抑的であり、且つ情報開示にも尽くさねばなりません。つまり弁護士等の職業人ですら戸籍謄本を始め個人の情報を取得するには種々条件が付せられるのに、役所なら何をしても平気ということはないでしょう。例えば、住所が同じ市町村内にあり、戸籍謄本或いは除票等まで、同じ役所の中で見られる場合であっても、制度として個人情報の取得ができる規定を制定しなければいけないと判断されます。それが法治主義でしょう。
   このような疑問を感じて条例制定などを検討する地方公共団体の方々の書かれるネットを見ていると、それ以外にも何故もっと突っ込んだ検討をしないのかとアドバイスを送りたくなったのです。
 
2  その一つは、他の地方公共団体や家庭裁判所の利用の仕方です。
空き家の場合、所有者が分からない状態になっていることが多く、登記簿謄本だけでは所有者或いは占有管理者等が判明しない例が多いのです。我々が通常調査をする戸籍謄本や除票或いは附票の取り寄せが必ず必要になります。これらを取得する内部規定或いは外部の地方公共団体と関係する規定を整備しなければなりません。
次に相続放棄をしているかどうかまで調査する必要が出てくるでしょう。放棄をした最後の相続人は、国庫に帰属させるまで不動産を管理しなければならないことは何回か前のコラムで紹介しました。民法第940条ですね。
つまり放棄をしているのかどうか、相続財産管理人を置いているのかどうかについて家庭裁判所に問い合わせをするシステムを立ち上げ、得た情報に基づき、不動産所有者或いは管理者に対して、調査・連絡・警告・その後の処置のシステム作りが必要なのです。
これだけでも、私が当時の空き家管理条例を不十分だと思った理由は分かっていただけるかと思います。
私は、これら検討事項以上に、地方公共団体の方々にもっと自信をもって前にすすめてもらいたいと思う事項もあります。
 
3   代執行の是非論等はさておき、危険不動産を国等の管理に委ねる相続財産管理人制度の利用までを取りこんではどうかということです。
    劣悪建物等の工作物は、最終的に行政代執行の問題にもなりますが、今後は放置された土地も増加するはずです。土地はなくなりません。国土の一部ですから残ります。そこで相続財産管理人制度を利用し、所有権を国に帰属させてはどうでしょうか。確かに相続財産管理人制度には費用がかかることは前のコラムでお教えしました。であるならその費用を公費で負担する制度も検討して良いでしょう。
確かにこれらの検討事項は、国の政策になるかもしれません。でも、そうであるなら、そのような意見を地方公共団体から国にあげてほしいのです。不動産による危険性は今後も増大し続けると思います。
その具体的な例として適切かどうか疑問は残りますが、生活保護法の場合も参考にできます。生活が困窮しているものの価値のない不動産を持っている場合、援助が必要であるなら、当該不動産等必要な調査をした後に支給されております。
代執行費用の経費も前もって予算に取り込む、また管理者等に請求できない場合も予め決めておけば、貸し倒れ等の心配は生じません。そもそも家庭裁判所と相談をして予納金の割引を申し入れるぐらいのことはしてもいいと思います。
根本的には、不動産の放棄条項に手をつけるなど、相続財産管理以外の全く違う制度の検討が必要なのかもしれません。
 
今回は、私もあまり取り扱わない条例に絞ってみました。


 

 

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