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コラム - 202505のエントリ
清水谷公園を訪ねました
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1. 今回、大学生時代に一度だけ行ったことのある清水谷公園を訪問しました(なんと60年前です)。
弁護士になった頃、清水谷公園に近い四谷駅の傍の事務所に通っておりましたが、清水谷公園を訪問したことはありませんでした。当時は、学生時代から遠ざかっていたかったのですね。
大学に入って暫くした頃のことですが、大学紛争の集会があると言われて、バスに乗せられ、清水谷公園に着きました。何百人という学生が集まりアジ演説を行っていました。当時、学生運動は多くの派閥に分派した時代で、演説マイクの取り合いのような場面もあり、何も知らない私には、いい印象はありませんでした。
こんな事情から、清水谷公園に行くことはなかったのですね。
半世紀も経過してから訪問するなんて変なことですが、名前だけは記憶しておりましたし、四谷に通っている頃、一度は訪ねてみたいなと思っておりました。
2. 今回、四谷駅から歩いて行くことにしました。
相当昔になりますが、ホテルニューオータニで会食会が行われるというので、四谷駅から歩いたことがあります。清水谷公園は、ホテルニューオータニの傍ですから、今回も周辺の景色を味わいながら行って見ることにしました。
四谷駅を降りるとすぐ、上智大学が見える場所の堤防のような高い道を歩きました。右側はJRの鉄道が見下ろせました。左側は上智大学の学舎です。
50メートル位高いのでしょうね。サッカーグランドや庭球場が見下ろせ、運動する人たちが小さく見える程ですから相当遠くまで見渡せます。左側は延々と上智大学の学舎が続き、その巨大さに驚きました。
高い堤防道が終わり、紀尾井坂の道に入りました。
ホテルニューオータニの入り口を横目で見ながら、かなり続く下り坂をおりました。上り坂なら諦めて中止する位に急でした。
江戸城防衛のため設けられた坂道と解説があり、紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったことから、その頭文字を取って「紀尾井坂」と呼ばれるようになったという案内板が出ておりました。紀尾井坂の名前は何回も聞いておりましたが、ほんのちょっとの距離しかないので驚きました。
坂道が終わったところを右側に折れ、100メートルちょっとで清水谷公園に着きました。
3. 清水谷公園の記憶は、実際と全く違っておりました。
先ず何百人も集まる場所がありません。
当時の記憶では、道路に面して広場があり、演説会場となっておりました。何百人もの学生の小競り合いがあった場所がないのです。狭い広場はありますが、直ぐに上り坂になり、小山のようになっておりました。数十年経過しているのですから仕方のないことです。
今回、見学した清水谷公園は小さな公園ですが、小山のようになっており、木々に囲まれ素晴らしい庭でした。入って直ぐ小山のような坂道に入りますが、奥行きもそれほどありません。大久保利通暗殺哀悼碑が建てられており、説明碑がありました。
多くの人が憩いを求めて休んでおられるなら、その印象も変わったのでしょうが、叔父さんが一人ベンチに座っておられるだけでした。
そもそも都心一等地にあるのですから、皆さんもっと利用してほしいですね。
4. 帰り道は、そのまま赤坂見附に出ることにしました。
紀尾井町通りというようですが、高級マンションが立ち並んでおりました。その建物の中には、名の知れた料亭が幾つかあることに驚きました。
赤坂見附の傍の弁慶橋は良かったですね。お堀のように見えますが、かなり見ていて飽きませんでした。
この付近も誰かと一緒に来たいですが、遊び場所は有名な飲食店になってしまうでしょうね。それだけでは観光場所にはなりません。
5. 今回は、四谷駅の直ぐ傍ということで、本当に懐かしい思いで歩き回ることができました。
特に四谷駅の堤防は特筆すべきものだと思います。