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裁判員裁判(その3 デンマークの裁判制度)

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裁判員裁判

 一 「陪審教徒」と「参審主義者」の歴史的和解の旅

1 第一東京弁護士会会報(平成98月号)

(1)     上記会報において、私は「デンマーク裁判所視察の成果」の題名のもと「陪審裁判制度論者と参審裁判制度論者の邂逅」と副題をつけて、デンマーク裁判制度を視察した一文を寄せております。同国では、両制度が矛盾なく円滑に運用されており、これまでわが国ではその詳細がつまびらかにされていなかった制度だったことから、参加者の皆が驚いた経験をしました。少し長くなりますが紹介しましょう。

(2)     「デンマークの裁判は、陪審裁判と参審裁判の両制度を採用し、同時に職業裁判官のみの裁判をも併用する特異な司法制度をとっております。誤解を恐れず率直に申し上げますと、あまり多くを期待しないで出かけた私には、大変学ぶところの多い視察でした。
 これまでわが国の刑事裁判において、国民の司法参加を考える場合、陪審裁判が採用されるべきか参審裁判が採用されるべきか、まるで二者択一の如くに論じてきた我々にとって、まさしく画期的な旅行ではなかったかと推察しております。
 即ち各制度がうまく運用されているデンマークの実態に触れ、これまで陪審・参審制度をそれぞれの立場から、他方を排他的に主張してきた我々のなかで、両制度の主張が融合されるかもしれないという予想がたった画期的な旅行でありました。
 具体的に申し上げますと、国民の司法参加を積極的に実現させようと考える弁護士グループの中には、私が冗談に「陪審教徒」とお呼びする友人の方々、もう一方の弁護士グループで「参審主義者」とお呼びする皆様の歴史的な和解・融和がなされるのではないかと期待しうる程の成果をあげたのであります。」

(3)     詳細をお知りになりたければ、当時の視察記録として「デンマークの陪審制・参審制 なぜ併存しているのか」(日本弁護士連合会司法改革推進センター及び東京三弁護士会陪審制度委員会編 現代人文社)をお読みいただければいいのですが、本書は250頁に及ぶ力作になりますので纏めとしては、前項私の視察報告書が適当でしょう。
 「私たちは、これまで陪審・参審制の双方を勉強の課題として各国を巡ってきましたが、我々の間では双方の制度が互いに相容れない制度として論じられてきた傾向がありました。
 特に、国民の司法参加としては参審制が理想の形ではないかと信じる私の立場に対して、保守反動のごとき批判がなされることもございました。陪審制主張の論者の中には、時にしてこのような性癖の方もおられ、私なりの反論もしてまいりましたが、最近は面倒臭くなってきたというのが正直な感想であります。即ち本視察旅行が色あせ始めていたのです。
 私個人としては、司法制度に関する国民の司法参加について他の制度目的をも考慮にいれ、多少でも切り口を変えれば、陪審制のみが至上の制度でないということは明白だと考えております。

  陪審裁判が至上の制度か?

(1)     陪審裁判は「隣人による裁判」であります。アメリカのように多種の民族が共存するモザイク国家では、他人に対する自由の制限・束縛は、裁判という仕組みを通し、隣人の認定によってのみなすことができるのです。結論から言うなら、自由であるべき他者を束縛するためには、隣人による裁判と言う仕組みによってのみしか認められないというのが民主主義なのです。自由はその限度でのみ制限されるという納得に基づいて隣人と共存し、誰もが生存できるというのが人類の知恵であります。これが法として整理され、法治主義にまで論理が発展するのです。
 であるなら多数に溶け込んでいる人々は、シンパシーを共有されることが可能な「隣人と言う裁判官」によって裁判手続を受けることが可能です。しかし隣人と縁の少ない人、即ち、何らかが隣人と異なる少数者は、隣人と言う裁判官のシンパシーを享受することができません。「冤罪」はこのような理由から発生することが多いのです。

(2)     日本の文化と比較しますと、アメリカの権力に対する国民監視の認識はやはり圧倒的に進んでおります。日本の官僚に対する批判を、日本の資料からは明らかにしえず、アメリカの公文書を検証して、逆にその事実を示しえた経験からも明白な事実です。
 アメリカでは証拠を保存しております。DNA鑑定の技術が進歩し、保存されていた証拠を再検証したところ(日本で出来ますか?)服役している人々の中から、何と冤罪が311件にも上るという報告もあるくらいです。それを題材にした小説もありますが、散漫になるので紹介しません。
 冤罪の多くが隣人と異なる少数者だと言えば驚かれませんか。皮膚の色が異なる人、或いは共産主義者のレッテルを張られた方々がその中心になるのです。陪審裁判の弊害の一つがここにあります。

(3)     ここで絶対に紹介しなければならない制度がデンマークの陪審制ダブル・ギャランティの制度なのです。デンマークでは冤罪の危険を回避するため、二重の保障(ダブル・ギャランティ)と言う制度を取り入れております。陪審員が有罪とした場合に、職業裁判官が事実に基づき証拠が不十分と判断したときは無罪とすることができるのです。逆の陪審員の無罪判決には裁判官も拘束されるというのですから、推定無罪の原則が貫徹され、冤罪の防止に寄与します。
 我々の視察時、偶然陪審有罪評決を裁判官が破棄するというデンマークで三度目の場面に遭遇したのです。翌日のデンマークの新聞もすごかったが、我々の興奮度をお伝えできないのが残念です。 

 

二 「自分の生き方は自分が決める」と言う方は少数者?

皮膚の色が違うという方は日本では少ないが、しかし時の権力者に抑圧される考え方をするかもしれないという皆さん!(それを宗教や思想と言うこともできる)、弾圧する側と同じ思考パターンの多数者に判断を委ねる「隣人の裁判」を受けたいでしょうか?
 私は生粋の日本人ですが「自分の生き方は自分が決める」という日本の文化人が生き様とする家庭のもとで育ちました。他人と違うということは気にはなりますが、生き方までは変えたくありません。シンパシーのない隣人に裁判されるくらいなら「事実のみを証拠とし、その事実のみから結論を推測し、その推測の過程は法律のみに基づいて裁判」をしてほしいのです。もちろん自己の責任は引き受けるつもりですが・・。
 一方、判決と言う結果は、国という権力により担保されています。ですから裁判といえども、国民の批判にさらされる必要があります。

陪審裁判について、私のような懸念を漏らされる日本の弁護士は残念ながら存じ上げません。

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